はじめまして
新しい自分を発見するカウンセリングを提供してます淡路ひろみと申します。
職場での人間関係に悩み、パートナーとの心の距離感がわからない_____
孤独感 イライラ みじめ そんな心の傷を癒し、安心感のある世界へ踏み出してみませんか?

「甘えてはいけない」と思い込んでいた幼少期——ひとりで抱え込んだ心の傷

長女で生まれた私は幼い頃から、「甘えることは恥ずかしいこと」だと教えられて育ちました。
母は厳しく、家でも仕事に忙しく、私に構う時間はほとんどありませんでした。
私は病弱でおとなしく、
他の子どもたちと活発に遊ぶ環境もなかったため、いつもひとりで過ごすのが当たり前になっていました。
幼稚園では、同級生とうまく関わることができませんでした。
3月生まれの私は、周りの子に比べて体も小さく、動きも遅かったため、男の子たちにいじめられることもありました。
女の子たちともどう接していいのか分からず、いつも遠くからみんなの輪を眺めるばかり——
「どうせ私は、入れてもらえないんだ」と、自然と諦めるようになっていました。
そんな幼少期を過ごした私は、
「人に頼ってはいけない」「自分のことは自分で解決しなければならない」と強く思い込むようになりました。
その思いは、私の心の奥深くに残り続けていました——。
「できない子」のレッテルを貼られて——自信を失っていった小学校時代

小学校に上がっても、私は何をやってもみんなより遅れていました。
走るのは遅く、鬼ごっこでは「特別扱い」で鬼にならない子。
給食を食べるのも人一倍遅く、最後まで残されて食べるのが日常でした。
国語の本読みでは、精一杯声を出しているつもりでも「聞こえません!」と言われ、悔しさで涙をこらえながら読んでいました。
いつの間にか「できないのが当たり前」の子として扱われるようになり、
自分でも「私はみんなより劣っている」と思い込み自分でレッテルを貼ってしまいました。
小学2年生の家庭訪問で先生に「褒めるところがない」と言われたことは、今でも心に残っています。
参観日で手を挙げずにいたら、母に「積極的になりなさい!」と叱られ、ますます自分の意見を出すのが怖くなりました。
さらに、4歳下の妹が学校に通うようになると、私の劣等感はより深まりました。
妹は勉強ができて先生にも好かれ、クラス委員になる優等生。
私は出来ない、ダメな子だと責める気持ちが強くなっていったのです——。
「嫌われたくない」——受け身のまま過ぎていった中学・高校時代

中学・高校に進んでも、私は相変わらず自信が持てず、友達も自分から作ることができませんでした。
話しかけてもらえたら嬉しいけれど、自分から声をかける勇気はなく、常に受け身のまま。
誰かと一緒にいたくても、どうやって関係を深めればいいのか分からず、遠慮ばかりしていました。
友達に無理なお願いをされても、断ることができませんでした。
「嫌われたくない」「迷惑をかけたくない」という気持ちが強くて、頼まれたことは何でも引き受けてしまう。
でも、そのせいで利用されることもありました。
そんなときも「断れない自分が悪いんだ」と思い込み、ますます自己肯定感が下がっていきました。
集団の中にいるときも、私はいつも端っこにいました。
みんなの話を聞いて相槌を打つだけで、自分の意見を言うことはほとんどありませんでした。
本当は「もっと馴染みたい」「もっと気を許せる友達がほしい」と思っていたのに、どうすればいいのか分からない。
かといって、一人でいるのも恥ずかしい——だから私は、ただ周囲の雰囲気を気にしながら、そこにいるだけの存在になっていました。
そんな日々の中で、「私の学生生活は楽しい」と思えたことはほとんどありませんでした。
心のどこかでずっと、置いていかれているような、取り残されているような感覚を抱えていました——。
「変わりたい」と思った就職、でも結婚は流されるままに——自分の人生を生きている実感が持てなかった日々

社会に出るとき、私は「今の自分を変えたい」と強く思っていました。
自信のなかった私は、あえて百貨店の販売員という仕事を選びました。
人と接するのが苦手なのに、それでも接客の仕事を選んだのは、販売員としてなら明普通に話せる気がしたからです。
演じることで新しい自分になれるかもしれない——そう思ったのです。
接客の場では笑顔を作り、明るく振る舞いました。
お客様の前では元気に話せても、それはあくまで「販売員としての自分」。
仕事を終えてプライベートに戻ると、やはり私は自信のないまま変わらない自分がいました。
「仕事では話せるのに、どうして本当の私はこんなに不安なんだろう?」——そんな違和感を抱えながらも、私は日々をこなしていきました。
結婚は、私にとって「自ら選んだもの」ではありませんでした。
中学の頃、祖母から「うちには男の子がいないから、長女のあなたが家を継いでくれるか?」と頼まれ、
何も考えずに「いいよ」と答えたあの日。
その言葉が、いつの間にか私を縛る呪いのようになり、「家を継ぐために結婚しなければならない」という思い込みになっていました。
しかし、いざ養子を迎えるための相手を探すとなると、自分では決められませんでした。
結局、お見合いで簡単に結婚を決め、流されるように結婚生活が始まりました。
でも、その関係は「夫婦」というより「ただの同居人」。
お互いを知ろうとする努力もなく、愛し愛されている実感もないまま、気づけば3人の子どもを育てることになっていました。
私は、夫婦関係に心の距離を感じながらも、子どもたちのためにと必死に母親の役割を果たしていました。
でも、ふとしたときに「私は本当に幸せなのだろうか?」と問いかける自分がいました。
それでも答えは出せず、ただ毎日を過ごすしかなかったのです——。
離婚で得た自由、でも満たされない心——

子育てに必死だった私は、夫婦の問題から目を背けていました。
毎日が慌ただしく過ぎていく中で、
「夫と心が通じ合っていない」という現実に向き合う余裕もなく、ただ母としての役割を果たすことに精一杯でした。
そんな日々が変わったのは、子どもが成長し、下の子に「恥ずかしいからもうお母さんと出掛けたくない」と言われた時でした。
その一言に、「この先、自分はどう生きていくのだろう?」と考えさせられました。
そして、夫婦関係を改めて見つめ直したとき、私は「すべての問題は夫にある」と思い彼に変わってほしいと伝え、
無理なら別れるしかない——そうして1年かけて離婚しました。
「離婚をすれば幸せになれる」と思っていました。
確かに気持ちはスッキリしました。でも、何かが足りなかった——満たされない心が、そこにはありました。
その後、何人かの人とお付き合いしましたが、いつもどこかで問題を見つけ、結局別れることを繰り返していました。
どうして自分の思い描く幸せに辿り着かないのだろう、なんで私だけ不幸なんだろうと自暴自棄に陥っていました。
『私には価値がない。』 『他人の評価を気にしすぎて、ありのままの自分を出せない。』 『本当の気持ちがわからず、何をしたいのか分からない。』こんな思いに押しつぶされそうでした。
「良い子」を演じ続けた私が、本当の自分を取り戻すまで

そんな苦しみの中、カウンセリングを受ける機会があり
「今の現実は、すべて自分の潜在意識が創り出している」と知り、ようやく気づいたのです。
問題は、相手ではなく、ずっと「自分の中」にあったのだと。
ずっと「良い子」でいなければならなかった私は、本当の自分を出せず、我慢ばかりしていました。
その積もり積もった思いを、離婚という形で発散させ、「私がどれほど辛かったか」を親に分かってほしかったのです。
私は、これまで「ない」ものばかりを見ていました。
足りないもの、不足しているもの、欠けているもの——
でも、「ある」ものに目を向けると、世界は愛に満ちていることに気づきました。
そうして、やっと心に平安を感じることができたのです。
自分のことを認め愛することができたら、目の前が明るくなり人に恵まれ環境にも恵まれるようになったのです。
ここから新しい自分を発見していったのです。
かつての私のように悩んでる方へ_____心の重荷を手放すために!

だから私は、心理カウンセラーとして、かつての私と同じように悩み、苦しんでいる人たちにこの気づきを伝えたいのです。
どんなに頑張っても、自分を認められない人
他人の感情に巻き込まれやすく、NOが言えない人
他人の評価を気にしすぎて、ありのままの自分を出せない人
怒ってはいけないと思い我慢するが、限界がくると一気に爆発する人
「苦しむのが当たり前」と思い込み、幸せを拒絶してしまう人
先ずはありのままの自分を否定せず、少しずつ受け入れていきませんか?
気づきとカウンセラーのケアによって少しずつ改善できます。
「自分を大切にする」ことから始めてみてみましょう。
あなたが一歩前に進むお手伝いをさせていただきます。
